2012年7月14日土曜日

八幡市高齢者大学ハーモニー体操なんと参加者100人

京都府八幡市でハーモニー体操のレッスンをしてきました。驚く事なかれ、100人を相手にです。
京都廣隆寺の庭


 私だって、最初っから100人だと知っていたら受けなかったんですけどね。「いきま〜〜す!」と手を挙げたら「100人ですけど、大丈夫ですか?」と言われたんです。大丈夫かって(;;゜ё゜;;)・・・・最初っから言えよっ!!。 でもまあ、今さら「できません」とは言いたくないので、「できるんじゃないでしょうか」と答えたわけです。

 100人を受けた口で言っても信じてもらえないかも知れませんが、私は人前で話すのが苦手です。子どもの学校の保護者会で自己紹介なんて最悪です。何を話して良いかわからなくて頭が真っ白になっちゃうし声はうわずるし・・・私ってつまんないヤツだなとガッカリします。

 中学生の頃まで、私は活動的な女子でした。
学級委員で生徒会の役員で成績はそこそこ、先生にも一目おかれて、しかも放送部の副部長でした。『しかも』というのは、放送部はまあ、特別扱いをされるところなんですね。給食時間は音楽を流すことになっていたので放送室で食べるし、大嫌いな運動会は、放送進行スタッフという事で徒競走を免除されるし、なにかしら行事があると司会をたのまれます。おかげで諸先生からのウケもまずまずなわけです。

 2年生の時なのか3年生の時なのか、記憶が定かではないのですが、英語のスピーチコンテストで学校代表になりました。地区大会参加ということで、先生の車で連れて行ってもらいました。しかも、我が校の放送部にその大会の司会依頼があって、部長のエミちゃんが司会として行く事になりました。もうルンルン、ワクワクです。授業は受けなくてもいいし、仲良しのエミちゃんと一緒だし、なんたって学校代表で英語のスピーチですから。

 沖縄県中部地区の大会でした。離島の学校も参加しています。沖縄は地域で言葉が全然違うので、離島にいくと何を話しているのかわからなかったりするのですが、英語だと普通に意味がわかるのが不思議なところです。壇上には、記録のためにテープレコーダーがおかれていました。次から次へと代表がスピーチを始めます。あっという間に私の番になりました。

 ところが、何ということでしょう!!
私が、大観衆の前でスピーチを始めて数分もたたないうちに、テープがパンッ!!と飛び出したんです。A面が終了したわけですね。エミちゃんと先生が焦ってテープをひっくり返していた気がしますが、もう私の頭の中は真っ白になってしまいました。ムリヤリ覚えた英語ですから、焦れば焦るほどハマるアリ地獄・・・・・・一度流れが止まると単語が全然出てきません。
ガ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンッ!!!
ガ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンッ!!!
ガ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンッ!!!

何をどうしたか全く記憶にありません。恥ずかしすぎて記憶から抹消したのかもしれない。いや、エミちゃんが心配そうに見ていたのだけは覚えているような・・・・。

 あまりの出来事に、先生もどう慰めて良いか困ったことでしょう。腫れ物に触るような態度・・・という言葉は、ああいう時の為にあるものです。それより、私は自分にガッカリしました。たいして能力もないのにシャシャリ出るのはもう止めようと思ったかもしれません。実際、その後は人前で話すのが苦手になりました。

 長くなってしまいましたが、そういうトラウマがあるので、大勢の前で指導なんてありえないんです。ここまで読んだ人は、「それじゃあ、なぜ受けたのだ。」とつっこみたくなるでしょう? 実はそれが人生の不思議を思わせる出来事なのです。(ああ、また長くなる)

しばし休憩 賀茂川にて


 放送部の部長エミちゃんは、その後九州の大学に進み、合コンで知り合った学生と晴れて結ばれ、博多で暮らしはじめました。子どもができた、家を建てたというあたりまでは、やり取りをしていたのですが、その後20年以上音信不通になります。

 数年前、ひょんなことから連絡がとれ、今は大阪に住んでいるということがわかりました。そのうち東京に遊びにいくからね〜〜〜と言ってたと思ったら、お連れ合いが東京単身赴任になり、彼女は時々単身赴任先の掃除を名目に上京するようになりました。私が通っているハーモニー体操のクラスにも参加するようになりました。

 私が、京都の話があるんだが、ちょっと悩んでいるんだと言うと、「是非受けなさい!私の家に泊まりなさい!」と言ってくれました。彼女の家は大阪とはいえ京都に近く、八幡市へは車ですぐなのです。

 京都では彼女に甘えっぱなしでした。京都駅まで迎えにきてくれて、私の服装の心配をしてくれて、ご飯の用意をしてくれて、適当にほっといてくれて・・・(ほっといてもらうというのは最高に嬉しいことです。)当日は会場の後ろの席で参加してくれました。

 そういうふうに気を遣ってもらったおかげでしょう。体操指導の90分は思ったよりスムーズに進みました。参加者の方の反応も良かったし、運営スタッフの方も喜んでくれました。

 何と言ってもエミちゃんが見ていてくれた事が、私には大きな意味があった。
沖縄の青い空が、どんより暗い重い空に感じられた、あの屈辱の英語スピーチコンテストの現場にいたエミちゃんが、京都の空の下で、私が100人を相手に話しているのを見てくれる。ニコニコ笑いながら見てくれる。

何かに、ありがとうって言いたくなりました。
初心者の私にやらないかと声をかけてくれた先生に。
私のプログラムが上手く進むようにアドバイスをしてくれた全ての人に。
京都まで手伝いに来てくれた先輩に。
100人も参加者を集めてくれた運営スタッフに。
参加者の方々に。
そしてモチロン、エミちゃんに。
そして、この不思議な流れに。

「ありがとう」って言います。








 


2012年6月2日土曜日

静岡のギャラリー濱村で展示しています。

私の本業はバッグの製作ということになっています。
沖縄の姉が織った芭蕉布を使ってバッグや小物を作っています。
私としては、バッグを売るというよりも、
芭蕉布という布の良さを、分かってもらうための仕事をしているつもりです。

アトリエの名前は『芭蕉布こもれび工房』(HP:http://www.komorebikobo.com/
革や芭蕉布以外の布で作る場合は『こもれび工房』と称しています。

ここ2、3年は、なかなか難しい状況が続いきました。
不景気の波は、うちのような贅沢品を扱うところを直撃するんですね。トホホ。

たしかに芭蕉布は贅沢品です。
今時、自分の畑で植物を栽培して糸を作って、染めて、織って・・・・昔ながらの手順を踏んで作っている。
工程が半端じゃないぶん、お値段も半端じゃなく高額になります。
作っていて何ですが、私なんかには、とても出せない金額です。

そんなに高いくせに、着物の世界はいろいろ決まり事があるから、夏のほんの短い間しか着られません。
究極の贅沢品と言えるでしょう。


でも、芭蕉布は特別なんです。と言いたい。

一見すると芭蕉布は麻にそっくりです。
どちらも植物から作られます。生成りのカンジも似ています。
でも、もちろん違います。

麻は使っていくうちに(それが良いところでもありますが)クタッと柔らかくなります。
身体になじんでくるのです。

それに比べて芭蕉布は、いつまでもシャキッとハリを失わない。
ベタベタ身体にまとわりついてこない。
そして年をとるごとに、アメ色に変色していくのです。
その変色した色の味わいが、何ともいえません。
カッコイイ布です。

子どもの頃、我が家の裏と道を隔てたお隣には
一人暮らしのおばあさんが住んでいました。
背中が曲がって、歩くのもゆっくりだけど、一人で暮らしていました。
 ご主人や跡取りの息子が、戦争で亡くなっていたのです。

買い物やら力仕事だのの用事は、親戚の人が気を配っていましたが、
庭に少し野菜を作って、食事も洗濯も 自分でこなしていました。

そのおばあさんが二人とも、いつも芭蕉布を着ていたのです。
時々、シークァーサーの木の下に芭蕉布が干してありました。

年寄りの一人暮らしは、不安や寂しさに押しつぶされそうなこともあるだろうに
全然そんなそぶりは見せないで、いつも笑っていました。

そんなカッコイイおばあさんの笑い顔と一緒にあるのが
私にとっては、芭蕉布なんです。

 歳をとっても、一人でシャキッと生きていく、自立したおばあの着物。
カッコイイです。


我が家に残っている着物は、
私が生まれた年に亡くなったという祖母の織った芭蕉布で、
もう100年は経っているます。

普段に着ていたものだから、所々シミもあって見事にアメ色で
そして、今でもノリづけしたようにピンとしています。
羽織ると気持ちが前向きになります。

つくづく力のある布だと思います。

去年は、銀座のギャラリーで少し展示させてもらいました。

今年は、母の痴呆がすすんだり、
すぐ上の姉の体調が思わしくなかったり、
韓国の夫が松葉杖生活だったりという、
心配事のオンパレードになったので、展示会はあきらめていました。

それが突然、静岡のギャラリーから展示をさせて欲しいとオファーがあって
並べていただくことになりました。

5月31日スタートで6月6日までです。



ギャラリー濱村
画像の説明
静岡市葵区両替町2丁目3-1
http://www.hamamura.join-us.jp/
日時:2012年5月31日~6月5日
お問い合せ:PUMPKIN
Tel:054-261-4503
mail:erika0908@nifty.com
↓静岡駅からギャラリー濱村への行き方
http://atelierbebe.net/bebe/koten2010.htm

静岡で展示をするのは、初めてです。
ちょっと不安があったのも事実です。
急なお話だし、準備期間もないし、初めての方だし・・・

でも、企画の杉山さんにお会いしたら、不安がす〜〜っと消えました。
良いものを静岡の人に見て欲しい。
そんな意気込みが感じられて、こちらまで嬉しくなりました。
そういう人と仕事をするのは、楽しいものです。





2012年5月2日水曜日

韓国の旅 その①

ハーモニー体操の指導者養成コースが始まりました。

4月から7月までの隔週の週末+公休日の20日間、10時〜4時半のレッスンです。
もう、怒濤の日々といって良いでしょう。
始まったばかりなのに、既にインプットしたものをどう処理しようかとまどっている私がいます。面白いと言えばこの上もなく面白いんですけどね。
実際にハーモニー体操のレッスンを受けたり理論を教えてもらったり。
更に、KJ法。これがやたら頭を使う。頭脳労働から遠ざかって久しい50代はこの講義でド〜〜〜〜ンとやられるのです・・・・・・脳みそが疲れたと言っています。
あ、しかも課題がやたらでるんです。
今、その課題を思い出したらヤバイヤバイと脂汗が出てきて、ちょっとコースのことを考えるのは止めたくなりました(中断)

そうです。精神安定の見地からテーマを強制的に変更します。

コースの最初の二日間を受けた4日後、韓国に旅立ちました。
友人の住むチリ山脈。近くを流れるソンジン河は鮎やモズク蟹(上海蟹)で有名。


暮れに足首を骨折した夫の部屋を掃除するのが目的です。
夫は、足を折った当日にも椅子に座って演奏して舞台をこなしたという見上げた根性の人ですが、元気なときでも掃除はしないという怠惰の人でもあります。
部屋がどうなってるか想像することすらできません。

到着すると、思っていた通りと言うよりは予想を遥かに越えてというべき部屋です。
近所に借りていたスタジオを最近撤退したので、そこから持って来ざるを得なかった楽器や機械の類いが秩序もなくド〜〜〜ンと積み上げられています。
ノートや本や服やタオルが床のあちらこちらに散らばっています。
マッコリの空き瓶がゴロゴロ転がっています(マッコリは発酵して臭くなりますからフタを閉めないで放置するのは止めましょう。小バエが発生します。)
冷蔵庫から不穏な匂いが漂っています。・・・・・エトセトラ

いや〜〜〜〜スゴい物を見た!

多分、私が来るからということで、彼としては少しは片付けたと思うんですよね。
いや、もうどうせ焼け石に水だからということで何もしなかったのかな?
どっちなの?と聞くのもいかがなものかと思うわけですヨこの場合。
えっと・・・・こんなに掃除のしがいのある部屋もなかなか無いでしょう。・・・と沈黙のうちに納得して、まあ、掃除がテーマだからね、今回の旅は。
・・・・・いいんじゃない?やりがいがあって。

そんなわけで、せっせと掃除をしましたよ。
床が見える喜びとか、楽器が1列に並ぶ気持ち良さか、床を拭いたぞうきんが真っ黒になるということは、それだけ床がピカピカになったということだ〜〜〜と感慨にふけるとか。そんなことをしみじみ味わいながら掃除しました。

で、どうにか人の住む家の体をなしてきたところで、ご褒美の小旅行。

ソウルから高速バスで4時間の三千浦(サムチョンポ)という漁港で1泊、近くのチリ山で自給自足の生活を送るお友達の家で1泊。海の幸と山の幸を楽しむ旅は最高でした。
サンチョンポの漁港にて。

馴染みの魚屋さんがみつくろった魚。これを近くの食堂で刺身とチゲにしてもらって食べる。石鯛なんて日本で食べるといくらするのよ〜〜〜と驚いてしまう。


初めて食べた漆の芽。軽く茹でて食べます。

今回は6泊7日の旅でした。色々な人に会って、美味しい物を食べて、写真もけっこう撮ったので、また後日書きたいと思います。







2012年4月11日水曜日

桜の頃

桜の季節になると会いたくなる人がいます。

次女が保育園に入れなくて、仕事が思うようにできなくて焦燥感にかられていた頃受けた「子育て中の女性の為のセミナー」。そのころにしては珍しく託児がついていたんです。行ってみると案の定、同じような境遇の母親ばかりで、話題があうことこの上ない状態でした。

何日か続いたセミナーの終了日「せっかくだから今後も定期的に集まりましょう!」ということになり、月1回くらい集まって興味のあること、たとえば人間関係についてとか自分を表現することなど勉強しました。セミナーのテーマが「良いお母さん」になることより「良い生き方をする女性」になることを重視していた流れで、子どもの話題だけにとどまらず、自分自身を見つめることを考えるようなテーマが多かった気がします。時には講師をよんで、自己表現の方法とか人との距離の取り方を学んだりもしました。

でも、一番楽しかったのは1品持ち寄りの飲み会です^^
だれかの家が会場となることもあったけど、何と行っても砧公園でのお花見会!
公園全体が桜色と若草色に染まった中で、子ども達はウヒャウヒャ走り回り、母達は根が生えたように座り込んで暗くなるまでおしゃべりをしたんですよね。料理も他人が作ったものは新鮮で美味しかったし持ち寄るお酒はもっと嬉しかった。

そんな仲間も、一人又一人と仕事が決まったり、親の介護があったり、下の子が生まれたりで忙しくなり、定期的に集まるのが難しくなって、今や自然解散のような状態です。

でも、桜の季節になると何となく会いたくなって、集まれる人だけ集まって花見をするのです。

去年は3人で砧公園で暗くなるまでおしゃべりをしました(もちろんワイン付き)。
今年は花粉症の人がいるので砧公園はあきらめて、我が家に6人が集まりました。

数えてみたら知り合って16年が経っています。
今年は4人が大学生の親になりました。それぞれフルタイムだったりパートタイムだったりの仕事を持っていて、話題も昔話から子どもの話や仕事の話、親の介護や更年期障害ときりなく展開して、我が家の近くには呑川という桜並木の名所があるのだけど、誰一人桜を見に行こうとは言い出さず、根が生えたように座り込んで、おしゃべりが続くところが昔のままでした。



そして、昨日は我が家の会に参加できなかったメンバーと二人で砧公園でお花見をしました(こらこら仕事をさぼるんじゃない(>З<))
いやいや、やっぱり砧公園でしょう!!本当に満開でした!

砧公園に向かいながら、今日は仕事があるからお昼を一緒に食べるだけにしよう・・・なんて思っていたのに、気がついたら4時間くらい話し込んでて、「さあ帰ろうか」と自転車置き場に歩きながら、「そうそう〜〜〜」なんて彼女が話し始めたら、これが親との関係だの夫との関係だの、実はいままで知らなかったお互いの一面に触れる深い話になって、またベンチに座って話し込んで、気がついたら暗くなって寒くなって辺りに人影もなく、これはマズイということで今度こそ解散。

二日とも、今年こそは、もうちょい頻繁に会いたいね、なんて言い合いながら別れたんだけど、どうだろう。やっぱり来年の春まで会わないような気もします。頻繁に会うには皆、今の生活が忙しすぎますね。でも大丈夫、年に1回しか会えなくても、会えばきっと嬉しいと思える人がいるとわかっているだけで幸せですから。




2012年3月27日火曜日

春はスタートの季節です

次女が4月から大学生になります。
学生時代の私は、一生独身でいくと宣言していて子どもを産むなんて考えた事もなかったのに、さっさと結婚して二人も子どもを産んで、子ども中心の生活がだいぶ続いたなあ。子どもを持たなければ足を踏み入れる事もなかった保育園やら学校やらのお付き合いとか・・・面倒くさいことも多かったけど面白い思いも随分しました。

でもね、面白い思いも確かに沢山したんだけど、「ウ〜〜〜ン、残念〜〜〜〜!」と我慢した事もあったんです。特に仕事に関しては制限をつけてしまって満足する働き方はできなかった。子育ても仕事も両立している立派なキャリアウーマンから見たら、もう私なんか「働いてます」なんて言っちゃいけないような働き方でした。ほんっと、残念(>З<)

次女の高校の卒業式は雨でした。雨の日の寒い体育館のパイプ椅子に腰掛けて、これからは何かをしない口実に子育てを使うことはできないぞと思うと、ちょっと身が引き締まる気がしました。私の膝の上ですやすや眠っていた数十センチの赤ちゃんが、もう私より10センチも背が高くなって、薄く化粧なんかもしちゃって、カレシなんかもいるのです。何と言っても、私がひとりで東京で暮らしはじめた年齢になっているんです。


18歳の私は沖縄を出る時、もう自分は大人だから一人で生活できるし誰の指図も受けない!と固く決意していました。忘れっぽい私ですが、あの時の気持ちは忘れることはないと思う。実際、18歳の私が、職をみつけてアパートを借りて一人で生活すると、周りは一人前に扱ってくれたものです。田舎者の小娘を頼りなく思っていたでしょうが、とりあえず一人前に扱ってくれたのです。

というわけで、もう私の下の子も一人前に扱われてもおかしくない年齢になりました。まずは私が一人前に扱おうと思います。幸い近年の私にはバッグ作りとハーモニー体操という情熱を傾けたいテーマがあるので、子どもが手を離れたからといって、時間が余って退屈するという事はなさそうです。ああ、ワクワクする!!