注文のお財布作りでテンパッています。
日がなミシンの前にいます。
こういう時は、50分毎に休憩をとると良いらしいですね。
以前、肩と腰が痛くなったとき整体の先生に言われました。
そうは言ってもね〜〜〜、気持ちが焦っていると休憩とってる場合じゃない(>З<)って気がします。
3時間くらいぶっ続けでミシンと格闘してたりします。
でも、この頃、肩コリや腰痛ってないなあ。どうしてだろう。
ミシンを踏みながら、
「あ、私の背骨、今イイカンジだ!」とか
「座骨が逃げてるかも〜〜」なんて、チェックを入れているからかも。
この頃、ミシンを踏むための姿勢。というのが見えてきた気がします。
2014年6月18日水曜日
ワールドカップと映画を見て考えたこと。
いやいや、世の中サッカー一色ですね。
この頃すっかりサッカーファンに変身した義母とふたりで「日本vsコートジボワール戦」見ながら、何で日本中がこんなに盛り上がるんだ〜〜??と思ってしまいました。
自分の兄弟やら友だちが出ているならともかく、縁もゆかりもない人が走り回るのを見て何が面白い!!
で、突然ですが今日の夜はBSでデンゼル・ワシントンの「ハリケーン」を見ました。
公開当時に見て感動した記憶があるのですが、あれ?ストーリーを思い出せないではありませんか。
残すところ1時間という状態でしたが、確認のため見ることにしました。
見始めると、そうそう確かにそうであった!と記憶がよみがえって来て、「こらっ、こんなに感動的な話を何故忘れる!」と自分を叱りたくなります。
この映画は殺人罪で投獄された黒人ボクサーハリケーン(デンゼル・ワシントン)が 無実を訴え続け、30年後に無罪を勝ち取るという内容です。
というと余りに単純ですが、この30年という年月を見せられることで、心はハリケーンに寄り添っていきます。
飛ぶ鳥を落とす勢いのボクサーハリケーンは、殺人罪で有罪判決を受け絶望する。しかし俺は無実だと司法に戦いを挑む。彼は支援者を得て再審への希望を抱く。しかし却下され絶望する。それでも戦いを挑み、また絶望し、新たな支援者を得て希望を抱き、最後の戦いに挑む・・・。
私は、その過程を見ながら「あんまりだ!」「そうだそうだ!ガンバレ」「正義は勝つよ!皆君の見方だ!」「うわ〜〜〜!ガッカリ!」「希望を捨てないで!」なんてつぶやいているのです。
もはや彼のことを、スクリーンの向こう側のキャラクターとして見ることはできません。
じゃあ自分の家族か友人かというと少し違う。
でも、心情的にとても近しい者という感覚。
自分の中に存在する人格といえば言えるかもしれない。
そして迎える連邦最高裁判所での判決シーン。
私も、祈るような気持ちで裁判長を見つめました。
「お願い!彼を無罪にしてあげて!!」
ああ、これって サッカー日本代表を応援するのと同じですね。
戦う人の戦いぶりを見守り、我が事のように一喜一憂する。
まるで自分の代わりに戦ってもらっているような。
彼が勝利を手にするとき、自分も勝利を手に入れたように高揚する。
スポーツにも映画にもそんなパワーがある。
そうか!そうであったか!
この頃すっかりサッカーファンに変身した義母とふたりで「日本vsコートジボワール戦」見ながら、何で日本中がこんなに盛り上がるんだ〜〜??と思ってしまいました。
自分の兄弟やら友だちが出ているならともかく、縁もゆかりもない人が走り回るのを見て何が面白い!!
日本が1点決めたときなんか、お隣やら向かいのマンションやらから「おおお〜〜〜〜〜〜〜」というどよめきが響いて、コートジボワールが立て続けに2点入れた時は「ふお〜おおお〜〜〜ふおお〜」というため息。
甲子園に出場した母校の応援に駆けつけたOBみたいです。で、突然ですが今日の夜はBSでデンゼル・ワシントンの「ハリケーン」を見ました。
公開当時に見て感動した記憶があるのですが、あれ?ストーリーを思い出せないではありませんか。
残すところ1時間という状態でしたが、確認のため見ることにしました。
見始めると、そうそう確かにそうであった!と記憶がよみがえって来て、「こらっ、こんなに感動的な話を何故忘れる!」と自分を叱りたくなります。
この映画は殺人罪で投獄された黒人ボクサーハリケーン(デンゼル・ワシントン)が 無実を訴え続け、30年後に無罪を勝ち取るという内容です。
というと余りに単純ですが、この30年という年月を見せられることで、心はハリケーンに寄り添っていきます。
飛ぶ鳥を落とす勢いのボクサーハリケーンは、殺人罪で有罪判決を受け絶望する。しかし俺は無実だと司法に戦いを挑む。彼は支援者を得て再審への希望を抱く。しかし却下され絶望する。それでも戦いを挑み、また絶望し、新たな支援者を得て希望を抱き、最後の戦いに挑む・・・。
私は、その過程を見ながら「あんまりだ!」「そうだそうだ!ガンバレ」「正義は勝つよ!皆君の見方だ!」「うわ〜〜〜!ガッカリ!」「希望を捨てないで!」なんてつぶやいているのです。
もはや彼のことを、スクリーンの向こう側のキャラクターとして見ることはできません。
じゃあ自分の家族か友人かというと少し違う。
でも、心情的にとても近しい者という感覚。
自分の中に存在する人格といえば言えるかもしれない。
そして迎える連邦最高裁判所での判決シーン。
私も、祈るような気持ちで裁判長を見つめました。
「お願い!彼を無罪にしてあげて!!」
ああ、これって サッカー日本代表を応援するのと同じですね。
戦う人の戦いぶりを見守り、我が事のように一喜一憂する。
まるで自分の代わりに戦ってもらっているような。
彼が勝利を手にするとき、自分も勝利を手に入れたように高揚する。
スポーツにも映画にもそんなパワーがある。
そうか!そうであったか!
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