2014年6月18日水曜日

ワールドカップと映画を見て考えたこと。

 いやいや、世の中サッカー一色ですね。

 この頃すっかりサッカーファンに変身した義母とふたりで「日本vsコートジボワール戦」見ながら、何で日本中がこんなに盛り上がるんだ〜〜??と思ってしまいました。
自分の兄弟やら友だちが出ているならともかく、縁もゆかりもない人が走り回るのを見て何が面白い!!


 日本が1点決めたときなんか、お隣やら向かいのマンションやらからおおお〜〜〜〜〜〜〜というどよめきが響いて、コートジボワールが立て続けに2点入れた時は〜おおお〜〜〜というため息。

甲子園に出場した母校の応援に駆けつけたOBみたいです。


 で、突然ですが今日の夜はBSでデンゼル・ワシントンの「ハリケーン」を見ました。
公開当時に見て感動した記憶があるのですが、あれ?ストーリーを思い出せないではありませんか。
残すところ1時間という状態でしたが、確認のため見ることにしました。

 見始めると、そうそう確かにそうであった!と記憶がよみがえって来て、「こらっ、こんなに感動的な話を何故忘れる!」と自分を叱りたくなります。


 この映画は殺人罪で投獄された黒人ボクサーハリケーン(デンゼル・ワシントン)が 無実を訴え続け、30年後に無罪を勝ち取るという内容です。

 というと余りに単純ですが、この30年という年月を見せられることで、心はハリケーンに寄り添っていきます。

 飛ぶ鳥を落とす勢いのボクサーハリケーンは、殺人罪で有罪判決を受け絶望する。しかし俺は無実だと司法に戦いを挑む。彼は支援者を得て再審への希望を抱く。しかし却下され絶望する。それでも戦いを挑み、また絶望し、新たな支援者を得て希望を抱き、最後の戦いに挑む・・・。

私は、その過程を見ながら「あんまりだ!」「そうだそうだ!ガンバレ」「正義は勝つよ!皆君の見方だ!」「うわ〜〜〜!ガッカリ!」「希望を捨てないで!」なんてつぶやいているのです。

もはや彼のことを、スクリーンの向こう側のキャラクターとして見ることはできません。
じゃあ自分の家族か友人かというと少し違う。
でも、心情的にとても近しい者という感覚。
自分の中に存在する人格といえば言えるかもしれない。

そして迎える連邦最高裁判所での判決シーン。
私も、祈るような気持ちで裁判長を見つめました。
「お願い!彼を無罪にしてあげて!!」

ああ、これって サッカー日本代表を応援するのと同じですね。

戦う人の戦いぶりを見守り、我が事のように一喜一憂する。
まるで自分の代わりに戦ってもらっているような。
彼が勝利を手にするとき、自分も勝利を手に入れたように高揚する。

スポーツにも映画にもそんなパワーがある。

そうか!そうであったか!












0 件のコメント:

コメントを投稿